何をされてきたかを思い出した方がいい

雑記

思い出は美化されがち

会社の設立が終わり、体外授精も慌ただしく通院する時期が過ぎて「何となく一段落着いた」感があるせいか、ふと『一度地元に顔を出そうかな』『連絡を取ってみようかな』という思いが脳裏をよぎることが最近あります。

実家で、会社で、どんな扱いをされてどんな思いをしてきたのか忘れているワケではないつもりなんですが……「何だかんだで最後は会社での人間関係は悪くなかったし」「今の私を見て認識を改めてくれる・関係が変わるかも」と心のどこかで思っている自分がいて、今元気にやってるよ!って報告したいと気持ちがあるんですよね。

でも、関係が変わるとか認識が変わるとか、そんなこと100%起こり得ない勘違いなんですけどね。

これから子供を持つかもしれないので実家との関係を改善しておきたいってはっちゃけもあるんだと思います。

未だに認めるのに抵抗があるけれども私は実家にとって金銭援助以上の存在意義はないし、もう今更まともな関係を構築するのは非常に困難。下手に連絡を取れば、また搾取されてしまうし今度は夫に迷惑がかかる。

そこに時間や精神的なコストを割くくらいなら、もっと未来に役に立つことにコストを割いた方がいい。

そんなことをここ最近毎日のように自分に言い聞かせています。

帰ったところでロクなことにならない

仮に地元に帰るとして、まず今はコロナ禍だからそもそも無理なんですよね。

コロナがなくて帰ったとしても、期待しているようなことは起きない。絶対に。

受け入れてもらおうとか認めてもらおうとか、褒められるとか愛されるとか、そんなことはどれだけ願っても叶うことはない。

それどころか聞かずに済んでいた厭味・皮肉・罵倒をまた聞かされるだけ。時間をお金をかけて聞きに行くようなものではないです。

離れて暮らして連絡を取らなくなって嫌な思いをしなくなったから「もしかして……」って願望が出てくるだけなんですよね。

未だに地元や実家に固執している自分がいる、というのを認めるのもなかなか厳しいですね。

こうやって文字にして整理すると気持ちが落ち着く反面、なかなか入力が進まないです。

現実を見て生きていこう

今現在、「何となく一段落着いた」感がありますが、実際は全然一段落着いてはいないんですよね。

胚移植日まで日にちが開いているのと法人名義の銀行口座開設の審査結果待ちってだけで、不妊治療も会社設立もまだやらなければいけないことは完了していないんですよね。

銀行口座は審査に落ちれば次のところに申し込まなければいけないですし、胚移植が終わって判定日の結果次第でスケジュールがどんどん変わりますし、益体もないノスタルジーにうじうじしている暇はないんですよね。

今も収入がまだ発生していないだけで仕事は山積みですし。

本当にしっかりしないと……。

文字に起こして少し冷静になれたように思います。

読んでくださった皆さん、ありがとうございました!

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